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夏休みなのでちょっと特別編・・・かな?
よく考えたら、「うたっておどろんぱ!」プチ再放送1日目の13日10:30~10:45の裏では、『遠山の金さん3』再放送がやってたんでした。
どうしよう。
今回ばかりは、水木新吾君が登場しないことを祈っちゃうわ。
11日には、19回目にして水木君4回目の登場でした。久しぶりだったね~。でも、チョコチョコ出で、あんまりだったかな~。次回に期待したいところです。




さて。
忙しいけど暇な夏休み。
これが終わったら、いよいよ『必殺仕事人2009』DVDBOX下巻が発売ですね。まだ、上巻の5枚目を見ていないのですが、早く出ないかな~。
ということで、渡辺小五郎さんについてちょっと考えたことを、つらつらと書いてみました。
つまんないかもしれないけど、許してね。




以前の記事でもちょっと書いたことですが、ヒガシは過去、数々の役を演じてきました。
しかし、どれもヒガシという俳優を生かしきれていない気がしたものです。どれもこれも、「ヒガシだからこうなった」けど、「他の人なら違ったものができた」とも思われるのです。「ヒガシ以外考えられない!」と思わせるほどのインパクトは、残念ながらありませんでした。『元禄繚乱』の長矩でさえ、演じてきた歴代の面々の中に埋もれてしまいかねないものでした。





しかし、どうしたわけか、『喰いタン』ですよ。
これこそが、待ち望んでいた、『ヒガシでなくては』『ヒガシ以外考えられない』と思われるキャラクターでした。そういう意味で、私は『喰いタン』を高く評価しているのです。あのくだらなさも、ポイント高いですけど。
もしもこの先リメイクされることがあっても、ヒガシが演じたほどのインパクトを与えることのできる俳優はいません。と、私は断言します。

この後の『山桜』の手塚弥一郎
こちらも、原作の手塚様がそのまま実体化したかのような姿、居住まい、雰囲気。背筋の伸び方から視線の強さ。意外に優しい響きの声まで。全てが、東山紀之としてではなく手塚弥一郎その人として、強く人の記憶に訴えかけ、印象を残します。これこそが手塚弥一郎だと、見る人が納得し信じてしまうような、そんな役との一体感がありましたね。

そして、『必殺仕事人2009』。
これは、なんと言うか。
うう~ん。小五郎という役を、自分の方に引き寄せた、と言うべきか。
わかりにくいですね。
与えられた役と自分との間にあった「隙間」を、役を引き寄せることで無くし己と一体化したような。
まるで、本体と影のように。
影と言っても、地面に落ちた影ではなくて。体の中でも、光の当たる部分と陰になる部分があるように、どちらも自分の一部なんだけど、見え方が違う。小五郎って、そういう存在のような気がします。こういう存在って、ヒガシの中にもともと持っていたんだろうけど、あんまり見せていないんじゃないかな。


『喰いタン』以前のヒガシって、与えられた役に自分を合わせようとしていたように思います。それが、(私は舞台のヒガシを見ていないのでわかりませんけど)『喰いタン』以降は、役の中にもヒガシ色というのが出てきたように感じられます。
以前は、求められているように演じていただけ。確かに「ヒガシだな」とは思うものの、予想の範囲内の演技でインパクトにかけるものでした。それが、『喰いタン』を境にして、一皮むけたと言うか。要求されるもの、予想されるものプラスアルファのものを出すようになったような気がするのです。

『仕事人2007』の時の小五郎は、端正な容貌と免許皆伝の剣の腕を持つニヒル(死語)な仕事人。でありながら、表では昼行灯と称されるほど仕事に対して無気力で、姑と嫁の過剰な構いぶりに文句も言えずに、肩身の狭い思いをしている。
という、あらかじめ決められた設定の中で演じているというだけに見えます。
それが『2009』となり、23回分(SPも込みです)小五郎になる間に、いつの間にか小五郎はヒガシ側に近づいていきました。う~ん、抽象的か。
以前なら、役の中に自分が入って収まっていたのが、自分の中に小五郎と言う役、キャラクターを取り込んでしまった、と言うべきか。

『2007』の時にはなんだかはっきりしなかった小五郎という人間が、クリアになり、そこに存在するものとして認識できるようになってきたのです。
過去や腹の中に、何かは見せないけれど何かを持っている。TV画面に映っている面だけでなく、背中側もある人間として厚みが出てきて、見たままではなく、含みを持ち今後広がっていく余地というか幅のあるキャラクターに育ってきた気がします。


仕事人としての業を描きたいと、ヒガシは言っていましたよね。仕事人の業と言うと、なんだか他人事のようですが、小五郎として小五郎その人の業を身に負う覚悟、気迫が、(初めからあったのでしょうけどさらに)しっかりとヒガシの中に根付いたように、私は思います。
自分の中に小五郎を取り込む、持つと言うのは、そういう意味です。
・・・って、わかりにくいかなあ。
うまく言葉にできない。もどかしい。


とは言うものの。
『2007』の小五郎さんも、けっこう好きです。涼次との邂逅のシーンの小五郎さんの、クソ(爆)意地の悪そうな顔!!いや~ん、お素敵~(≧∇≦)



・・・・・・話がそれた。
『喰いタン』で、カッコよくてお茶目な、言ってみれば陽で動の高野聖也、『山桜』では、陽であろうとする静の手塚弥一郎を演じたヒガシは、『仕事人』ではこれらとは違う、陰の部分の強い渡辺小五郎にめぐり会いました。陽で静と見せて、実は陰で動。
家族の前では暢気。仕事人仲間の前では冷徹。しかし、どちらも小五郎の本質ではない。本当の顔は、いまだに誰にも(視聴者は別として)見せずに隠しているのです。1枚のみならず、2枚の仮面を持つ男。『MAKOTO』じゃないけど、人にはいろいろな面がある。月の表と裏のように、同じ人物でも、時に異なった面を見せることがあります。でも、月って地球からだと絶対に見えないところがあるんですよね。全て知ったと思っていても、まだどこかに未知の部分を持っている。そんなミステリアスなところが、また魅力的なんですよ。って、何の話だ。

え~っと。
だからですね。
登場人物たちよりもよほど知っている視聴者の私ですが、それでもまだ何か隠しているんじゃないかと思わされるところに、渡辺小五郎という(役ではあるけれど)人物の厚みと言うかふくらみと言うか幅と言うか。そういう物を感じるのです。
手塚弥一郎のことを『はまり役』と以前書きましたけど、渡辺小五郎は模索しながら掴み取った個性と言っていいでしょう。これからも大切に、長く付き合っていって欲しいですね。



と、ここまで書いたのですが、時間切れ。
13日の前に出したいので、これでアップしちゃいます。
いつもながら中途半端ですね。
まあ、いつものことなので、ご勘弁を。
続きは、次の機会で~(^―^) ニコリ


















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テーマ:雑記 - ジャンル:日記

[2009/08/12 11:43] | 東山紀之氏 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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