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ヒガシのDVD(ビデオ)見ちゃいました  その8 『新撰組』
『新撰組』、見てみました。
必殺仕事人2009』最終回の前に、ヒガシの時代劇の原点を見ておきたくて。『2009』、もう終わっちゃったけど。記事のアップが間に合わなかった・・・くすん。
1987年。
10月放映で、夏に収録されたというので、ヒガシはギリギリ20歳のときですね。
声も演技も、アングル美人って感じですか。声はまだまだ、若いし軽い。でも、時々いい声も出たりして侮れない(笑)。

殺陣は、デビュー前から習っていたんですね。どうりで、初めての時代劇とは思えないほどうまいです。カメラアングルだけでごまかしたりしていない。ちゃんと動いているし、足の運びもしっかりしている。不慣れな感じは否めないけど、がんばってます。
そういえば、ヒガシは剣道を習っていた時期があるというけれど、以前京本政樹が、
「剣道と殺陣とは違う。剣道をやっていると、殺陣では逆に戸惑うことも多い。」
みたいなことを言っていた記憶があります。どこがどう違うのかっていうのは、忘れてしまったので説明できません。すみません。
まあ、細かいことからいえば、違う点は多々ありますけどね。そもそも、剣道は叩くものだし、真剣は斬るものだし。殺陣は、真剣を使っているように見せているわけですから、いろいろと違うものでしょう。
もしも、殺陣を全く知らない状態だったら、やっぱりヒガシも戸惑ったんでしょうね。やっておいてよかったね。



それにしても、 ヒガシがやっぱり初々しい。
確かに若いんだけど、まだ10代のデビューしたての!
というわけでもないし。
デビューからしたら間がないけど、芸能活動はもう何年もしているわけだし。
じゃあ、この初々しさはどこから来るんだろう・・・?



ここから先は長いよ。







私はヒガシの声が好みだという話は、これまでにもしてきていますが、じゃあヒガシの声ってどんな声だろう??
と、ちょっと前に考えてみました。
これが、なかなかどうとも言えなくって。
優しいも甘いも、ちょっとしっくりこない。低音だけど、男らしいとも違う。柔らかいとも言えない。
けっこう悩んでしまいました。


ずっと考えていて、ついこの間ふいにある言葉に行き着きました。
「繊細」です。
顔も声も、実に「繊細」な表情をするのです。
無表情とかポーカーフェイスとか言われることの多い人ですが、そんなことはありません。
この「新撰組」も含めて、20代初めの頃までは声が不安定で、ちょっと聞くに堪えない台詞のときもあったりしますが、声が安定してきたころから、その声を使い分けられるようになってきます。
「ザ・シェフ」だけを見たときには、演技力に関しては気にならなかったのに、そのあとで「2009」を見るとずいぶんと違っていました(明らかに声に洗脳されている私)。
もともと声自体が「繊細」さを持っているのに加えて、そこに自分で表情をつけることができるようになったわけです。
では、「繊細」さはどこから来ているの?



前に「夜に抱かれて」の流星のことを、神経細そうと書きましたけど(細かそうじゃなくて細そう)、もうちょっとこのあたりを掘り下げてみようと思います。なぜ、神経が細そうと感じたのか。そこかしこに垣間見える「潔癖さ」からだと思います。


ここでいう「潔癖さ」というのは、身勝手な選民意識によって他者を見下し、排除しようとするものではなくて、どうしても他者を受け入れられない、他者と相容れないことによって、自らを追い詰め孤独に追いやり、己の神経をすり減らすような「潔癖さ」のことです。
若さゆえにかたくなで融通の利かない心。それをもてあまして、だけどどうしたらよいのかもわからずに、ただ自分の神経を身食いするかのように消耗させてしまう。そんな精神の未熟さと、自分の心を守る術も知らない幼さを感じるのです。他者を遠ざけることはできず、逆に自分の逃げ道をふさいで己自身で追い詰めてしまう。若いというよりは幼い。

そんな、若く幼いが故の神経の細さ、他者を隔絶しようとする潔癖さ。
そういったものを、演技というよりは元々自分の中に、彼は持っていたのでしょう。


時が流れ成長し、幼さは抜けたけれど自分自身をも許さない潔癖さは持ったままで、沖田総司は『山桜』の手塚弥一郎につながるのです。
沖田総司や源義経といった頃の少年(実際は少年ではないけれど)が持つわけのわからない潔癖さとは違い、手塚弥一郎は人生における信念、信義に基づいて自らを律した結果、それを身につけます。
なんだか、時代劇のヒガシを順に見ていくと、彼の成長の足跡を見るかのようですね。


人は大人になるにしたがって、他人にも自分にも甘くなっていくものです。それは当たり前のことだし、頑なだった人がやわらかくなるのは、いい事だと思います。
ただ、そこで自分に甘えを許してしまわなかったところが、ヒガシのヒガシであるゆえんなのでしょう。
年齢とともに精神が成熟し、他者を許すことはできるようになっても、自分は自分の決めたルールにのっとった生き方をやめようとはしない。不器用とも言える生き方が、逆にその存在を他から浮き上がらせ、押し上げているのです。
なんて、書けば書くほど、ヒガシと手塚様が重なってくる。
はまり役でしたねえ。




おっと、『新撰組』の話のはずだったのに。





正直なところ、話としてはどうかなという感じです。
そもそも、主人公は誰?
クレジットのトップは松方弘樹だけど、ヒガシの出番も多いし、後編なんかは山南さん役の三浦浩一がかなり出張っている。出来事を追っているだけで、なんだか散漫な印象です。
ただ、やはりキャストは豪華。
近藤勇に松方弘樹、沖田総司に東山紀之、土方歳三役は竹脇無我、芹沢鴨は地井武男。宮内洋の斉藤さんは、オトコマエでございました。山南さんとなさぬ仲になる遊女は松原千明、総司が思いを寄せる花売り娘は、清水美砂(新人←ここ注目)。とにかく、みんな若い!芹沢さんは、殺陣はどうあれ熱演でしたね。竹脇無我は、伊織様のイメージが強すぎて、冷酷な土方役が違和感。


総司が山南さんの介錯をする時には、『2009』の21話がかぶりました。
そういう時の作法って、決まっているものですからね。
比べるとやっぱり、所作でも殺陣でも、ずいぶん洗練されたなあと感じます。
でも『新撰組』の頃がよくないということではなく、この頃の動きは若さにあふれていて、それはそれでいいのです。今やれといっても、絶対できない動きですものね。
走って跳んで、刀をふるってと、動き回っているヒガシ。この出番の全てを10日ほどで撮ったなら、そりゃ気分も悪くなるわ。厳しいスケジュールの中、よく京都に行ったなあ。こういうがむしゃらなくらいの頑張りが、現在生きているんだから、やっぱり若いうちの苦労は買ってでもするべきなのか(ちょっと違う)。


ああ。どんなにがんばっても、まとまらない。
もうあきらめて、今回はここまで。
いずれ、元禄繚乱のときにでも、また書きたいと思います。

では!
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[2009/06/30 15:28] | 東山紀之氏 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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